今活躍しているサラブレッドの血統をさかのぼって行くと、
必ず3頭の馬にたどり着くと言われています。
その馬こそ
・ダーレーアラビアン
・ゴドルフィンアラビアン
・バイアリ−ターク
サラブレッドの三大始祖です。
この時代には「サラブレッド」という種類が無かった為、3大始祖はサラブレッドではありません。
父系をさかのぼって行った時にたどり着く、
公式な記録が残っている最古の馬です。
画像:Wikipediaより
今いるサラブレッドの約97%(日本では約99%が)がダーレーアラビアンの直系なんです。
その為サラブレッド史上最も重要な種牡馬と評されることもあります。
1700年にシリアで誕生し、その後シリアのイギリス領事だったトマス・ダーレー氏が購入し、
イギリスに送られたと伝えられています。
競走馬ではなく乗馬として活躍していたダーレーアラビアンは、時々種牡馬として併用されていました(今では考えられない)
※今のサラブレッドは優秀な子孫を残すために、レースで大活躍した馬しか種付けできません。
今では乗馬が種付けするなど考えられないんです。
こういった理由で交配した牝馬も少なかった様です。
産駒も数十頭しかいませんでした。
世界最強
その数十頭の中にサラブレッド史上最初の名馬と言われる「フライングチルダース」がいました。
ベティリーデズとの仔「フライングチルダース」はこの時点で世界最速の馬と称えられたといいます。
「フライングチルダース」は種牡馬としても活躍しましたが、
サラブレッドとしての血統は途絶えてしまいました。
その全弟「バトレットチルダース」は鼻出血の持病を持っていた為、競走馬としては活躍しませんでしたが、
種牡馬として好成績を残しました。
全弟「バトレットチルダース」から4代目の子孫にとんでもない馬が出現します。
18世紀最強
その馬は『エクリプス』といいます。
サラブレッドの約97%がダーレーアラビアンの直系ですが、その全てが『エクリプス』を経由しています。
エクリプス
画像:Wikipediaより
18戦18勝でその全てが圧勝。
相手の馬が見えなくなるほど突き放し
「エクリプス一着、他の馬はどこにもいない」という伝説は、
現在では「唯一抜きん出て並ぶ者なし」ということわざになっています。
日本での代表産駒
ディープインパクト・オルフェーブル
サンデーサイレンス・ブライアンズタイム・トニービンなど日本の殆んどの名馬、大種牡馬がこの系統です。
画像:Wikipediaより
この馬に関して信頼できる資料が少なく、かなりの部分が謎に包まれています。
1724ごろの生まれ。三代始祖の中では一番遅く1729年にイギリスに輸入されたとされています。
最後の所有者フランシス・ゴドルフィンの名を取ってゴドルフィンアラビアンと呼ばれるようになりました。
アラブの名馬だった当馬は植民地の献上品の一つとしてフランス王ルイ15世に献上されました。
しかし長旅で痩せこけていた当馬をルイ15世は気に入らなかったとされています。
その後、何らかの経緯でイギリス人のエドワード・コークの手に渡り、イギリスに送られました。
その後乗馬や当て馬として活躍していた様です。
タナボタ!!!
ロクサナという牝馬が種牡馬ホブゴブリンとの交配を嫌がったために、代役としてゴドルフィンアラビアンが種付けをしたといわれています(今では考えられない)
※牝馬が嫌がったからといって乗馬や当て馬が種馬の代役をするなんて今では考えられないんです。
このロクサナとの出会いが運命を変えました。
そうして出来た初年度産駒が
名馬『ラス』
翌年に生まれた弟ケードも名馬でした。
その後ケードの仔マッチェムが大活躍し、現在にまで血を残しています。
この功績から種牡馬としての価値が高まり、生涯90頭の産駒を残しました。
猫が大好きゴドルフィンアラビアン
ゴドルフィンアラビアンは気性の荒い馬だったが、親友の猫のグリマルキンにだけ心を開いていたといいます。
ゴドルフィンアラビアンの死後、猫のグリマルキンも後を追うようにすぐに死んだという逸話も残っています。
絵の右側に書かれているのがグリマルキンです。
日本での代表産駒
サニングデール・カルストンライトオ
父系の直系という意味では衰退していますが、エクリプスの母父の父となっている為、
直系にこだわらない場合、ダーレーアラビアン以上に重要な役割を果たしているとも言えます。
日本ではダーレーアラビアンの系統が99%です。ゴドルフィンアラビアン・バイアリータークの直系は消滅の危機に瀕しています。
何とかしてくれませんか?JRAさん社台グループさん。
画像:Wikipediaより
バイアリ−タークの事がわかる参考文献や資料は極めて少なく謎の多い馬です。
1679年ごろトルコ付近で誕生。
オスマン帝国(トルコ)の軍馬だったとされています。
イギリスとオスマン帝国の「ブダペストの戦い」で、敗走するオスマン帝国軍から、
イギリス第6近衛竜騎兵隊の「バイアリー大尉」が奪ったとされています。
優雅・勇敢・速さ、3拍子そろったバイアリータークを自分の愛馬にしたといいます。
バイアリー大尉は勇猛果敢な軍人であり、その後大佐に昇格した後もバイアリ−タークは大佐の元で活躍しました。
バイアリー大佐の元で大活躍
競馬に出走した記録は1戦のみ。
キングズプレートという競争です。
ヘイフォード大佐の馬とハミルトンという人物が乗る馬の後方を走っていたが、レース終盤になって
「翼を手に入れたかのような」走りを見せ先頭でゴールしました。
とされ最優秀賞の銀鈴賞を獲得したという公式記録が残っています。
アイルランドでの「ボイン川の戦い」でも大佐の軍馬として、武勲を挙げ勝利に貢献したといいます。
当時の記録で、偵察に出たバイアリー大佐は「敵に包囲されたがバイアリ−タークの優れたスピードにより辛うじて脱出できた」とあります。
バイアリー大佐が軍を退役したと同時にバイアリ−タークも軍馬を引退して種牡馬に(今では考えられない)
種牡馬生活は数年だったので、交配した馬も少なく、産駒も数少なかったようです。
※軍馬を引退してから種牡馬になるなんて今では考えられませんよね。
その産駒の中にジッグという英国血統書において「まあまあの馬」がいて
そのジッグの子供に名馬「パートナー」が生まれました。
パートナーの孫に名馬ヘロドとマッチェム(牝系)がいて後に大きな影響を与えました。
ヘロドの仔ハイフライヤーも種牡馬として大活躍し一時は大繁栄していきました。
その後徐々に衰退していき、近年トウルビヨンの出現で一時盛り返したものの、
世界的にこの血脈は風前の灯になっています。
日本での代表産駒
シンボリルドルフ・トウカイテイオー・メジロマックイーン
この名馬たちは優秀な子孫を残すことが出来ず、日本では消滅寸前です。
輸入された馬たちも活躍馬が出てきません。
現在日本の種牡馬ではメジロマックイーンの仔・ギンザグリングラス(109戦3勝)1頭のみ
とても種牡馬になれる成績ではありませんが、一部の競馬ファンたちの計らいで種牡馬になれたみたいです。
世界でも0.4%になってしまったバイアリータークの直系。
カタールの王族シェイク・ファハド殿下はこの血を残そうと立ち上がっています。
「このサイアーラインを後世に残す必要がある」と語っており、
自らが所有するバイアリータークの直系種牡馬「ドゥーナデン」の産駒でレースに勝った時に報奨金が出る制度を設けました。
さすが殿下!ホースマンとしての格も一流です。殿下頑張れ!
私も競馬ゲームでパーソロンやドゥーナデンを種付けして頑張ります。
長くなってしまいましたがサラブレッドの三大始祖でした。
『サラブレッド史上最も重要な種牡馬』
『猫好きな始祖』
『大佐の軍馬』
と三頭とも個性的ですね。
血統に興味を持つと競馬が更に面白くなると思います。
初心者の方も『三大始祖』を頭の片隅に入れておいてくださいね。